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田村高廣さんのこと

寡黙で優しい名優でした。

“寡黙” と言っても、それは、周囲を拒絶するような種類のものではなく、なんと言うか……その人だけの特別な気体に包まれて静けさを保つ、といったような佇まいだった。

包んでいるものが壁ではなくて気体のようだということは、近づこうと思えば近寄れる感覚。拒まれるような雰囲気ではない。しかし、こちらがぶしつけに近寄りすぎると、その人に必要な空気を乱してしまうのではないか。そう思わせる繊細さを持ち合わせた方だった。

田村高廣さんとは、映画 「プレコギ」 で、初めて共演させていただいた。

映画 「プルコギ」 は制作発表が既になされているが、公開はまだ先なので、撮影の内容を詳しく語るわけにはいかない。ただ、僕は、田村さんの突然の訃報を聞いた時、自分の脳裏に強い衝撃と共に鮮やかに戻って来た思いだけは、どうしても綴らずにいられない。

煙草を美味そうに 「飲む」 人だった。

撮影の合間に、セットの片隅の、照明や美術スタッフの邪魔にならない場所に椅子を持って行き、チョコンと座って紫煙を上げる。その煙のむこうに、実に豊かな、法悦の顔が浮かぶのだ。あんなに美味そうに煙草をのむ人の姿を、僕は田村さん以外に見たことがない。それは、こちらの頭の中から “禁煙” という言葉をザッとかき消してしまい、その上、「何事も自分の好きなようにマイペースでやればいいんだよ」 と教えてくださっているような顔だった。

撮影が深夜どころか明け方までかかっても、文句一つ言うことなく、さながら周りの未熟さを理解してくださっているかのような眼差しを浮かべ、坦々と演技されていた。その優しさ、慈しみ、大きさには、感動さえ覚えた。

さて、ある日の撮影でのことだ。

その撮影では、田村さんも僕も、ある、同じ条件のもとに演技をしていた。演じなければならないテーマと現実とは、どちらにとっても、著しく乖離していた。いや、乖離というよりも、まるで正反対だった。そんな中、僕ら……そう、あえて “僕ら” と言おう……は、共に、同じ状況に必死に耐え、『カット!』 の声ぎりぎりまで演技を続けたのだ。

監督の声によって忍耐から開放された瞬間、田村さんと僕は、示し合わせたわけではなかったのに、ほとんど同時にまったく同じコトバで大きく唸った。そして互いの顔を見て、体を震わせ、笑い合った。

その笑顔の素晴らしさは、僕の言葉では表現できない。

ただ、そこには、とても大きな幸せがあった。

笑いはどんな人にも幸せをもたらしてくれるが、田村高廣さんのその笑顔には、特別の力があった。

僕は、映画が完成したら、スクリーン上の互いの表情を見て、その時の互いの感覚を思い出し、お話したいと思っていた。しかし、それはかなわないのだ。

死の予感など、どこにもなかった。訃報を聞いても 「そういえば」 と思えることが何もない。僕はご家族でもないのに……わずか数日間、撮影でご一緒しただけだというのに、事実だと認識するまで、少し時間がかかった。

今もまだ、信じられない自分がいる。試写会で、あのシーンについて話すことを楽しみにしている自分が…………。

合掌


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栃麺坊

はじめまして。
高廣さんは凄く大好きな役者さんです。
高廣さんとの素敵なエピソードありがとうございました。
高廣さんのご冥福をお祈りします。
TBさせていただきました。
by 栃麺坊 (2006-05-21 02:24) 

にゃが

こちらこそはじめまして。

田村高廣さんは以前から尊敬している俳優さんでしたので
本当に残念です。

謹んでご冥福をお祈りいたします。
by にゃが (2006-05-22 19:49) 

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